自己紹介

禅教育普及会代表 玉溪です。

私は禅の修行者です。

大学1年の6月のある夜、今から39年前、日暮里にある人間禅擇木道場に初めて行きました。南口を出て紅葉坂を登り、天王寺の前を過ぎた路地の行き止まりに大正時代の木造の建物がありました。梅雨のせいか建物は湿って重そうで、乳白色のレトロな玄関燈が歴史を物語っていました。

これが禅道場か、平塚らいてうが若い頃通っていた禅道場なのか・・・近代の扉を開いた最先端の思想「原始女性は太陽であった」の源が、実は最も古風な禅だったとはどういうことか、いったい禅とは何なのだろう、見てみたい、とやって来たのでした。

その佇まいには、表面張力を破らぬよう息を詰めているような静寂があり、「女子大生の思惑などかまっておられぬ!」と門前払いされているようでした。それもそのはずで、その日は摂心会といって、禅の修行者にとって一番大事な修行の1週間に当たっていたのでした。

「もうすぐ老師の御提唱です。」と案内されて堂内の一番下座に作法もわからないまま坐ると、玄関燈と同じランプ色の電球が古びて乾いた畳を黄色く照らしているのですが、天井がとても高いので、明かりが部屋の下半分しか照らさず、天井は薄暗く、何か時間を越えて過ぎ去った繭の中に籠っているような感覚になりました。恐々おとなの中に混じるというのは、こんなふうに敏感になるものなのかもしれません。

大学2年の夏には正式に入門し、臨済禅の特徴である「公案」を授かり、その最初の「公案」、いわゆる初則を透過(悟る)したい一心で、坐禅と参禅(老師に自分の見解を判断いただく禅問答)に没頭していきました。入門者には昔からいくつか初則といって最初に授けられる問題があります。そのうちの代表的なひとつが、六祖慧能大師が言われた「父母未生以前における本来の面目如何?」というものです。これがわかると禅門に入ったとみなされるのです。

文字通り読めば、「父母が生まれる前の自分をここに出してみよ」という意味です。もちろん何のことやらさっぱりわかりません。実はわからないようにできているのです。

さて、そのような格闘が大学2年で始まりました。

老師が全国の道場を一週間おきに巡錫されますので、それについて行って参禅する生活でした。大学の授業は親友が代返してくれました。「声音を変えて返事するのは大変なんだからね!」と言いながらもいつでも応援してくれていた友は、昨年乳癌で亡くなりました。人生であれほど泣けたことはありませんでした。自分の禅にまつわることを書いたりお話する時には、いつでも彼女を思い出します。

やがて大学3年の6月になんとか問題が解け、老師に許され、「玉溪」という道号をいただきました。わかったときは、根底に触れた、という確かな感触がありました。確かに二つに分かれる以前はありました。

さて、禅の厳密なルールのひとつに、境涯を自分で判定しない、というものがあります。

禅の悟りは、判る者が判断するしかない師弟制度の中にあります。自分勝手な免許はあり得ない世界です。

なのでインドから中国に禅が渡り、達磨大師から現在まで誰が誰に法を継がせた、いわば免許皆伝を許したか、という記録が厳密に残された世界なのです。この師が信用できるかどうかは、その人が誰に認可されたかで見ます。達磨まで1400年遡れなければ本物ではないのです。よく巷で禅なるものを口にする人がいますが、本当の修行者であれば、よほどの許しが無ければ口にすることはできません。本当に厳しい世界です。そうやって長い年月、偽物が紛れ込まないように守り続けてきたのです。私の場合は20年間、人前で禅について語ることはできませんでした。

卒業後リクルートグループにライターで就職し、30歳でフリーライターになり、結婚して息子ふたりを育て、40歳になった時、ようやく師に許され、それから活動を始めました。以来18年、全国を講演し、講座をしながら禅を伝え続けてきました。

現在、禅の呼吸法の部分を取り出したマインドフルネスが世界的に広まり、多くの優れた研究の成果によって、いかに人間の成熟にとって、引いては世界の平和にとって、持続可能な社会を作ることにとって、大きな力になり得るかが解明されています。

私の役目は、2500年に亘って受け継がれてきた仏教と、その呼吸法の実践をもとにした禅を、現代の言葉にして、あらゆる立場の方々に役立つ形にしてお渡しすることです。

呼吸法の背後には膨大な仏教と禅の思想があります。これからは実質的な呼吸法にさらにプラスして、全体を網羅した上での「実践」の段階に来ています。

これこそ鎌倉以降、禅をベースに優れた文化を築いてきた日本だからこその発信の役割で、日本にしかできません。これこそ真のグローバルではないでしょうか。

過去と未来のつなぎ目としての役割を全うする以外の人生を考えることはできません。

確信を持って、感謝と共に皆様にご挨拶いたします。どうぞよろしくお願いいたします。 

合掌 慧日庵玉溪